大阪・心斎橋の老舗占い館【占龍館】
代表の黄麗です。
『黄麗・真理への道』
48回目は「瞑想の3つの困難「自我」」のお話です。
前回の記事はこちら・・・その47・瞑想の3つの困難「雑念」
瞑想の三つ目の困難は、
自我(エゴ)。
これは、今までは必要だった。
社会で生きていくためにも、
自分が何者かを示す必要があった。
成功するためには、
自我が強い方がいい。
弱ければ、負けてしまう。
生まれてから、ずっと自我を育ててきた。
自我とは、
自分にとって、自分という存在を明らかにする大切なものでもある。
その価値観を捨てるには、
聡明さと勇気がいる。
「私は」という考えを持って、
瞑想の深い部分には入れない。
私が、私でなくなることの恐怖を通過できるか?
「私は」があると、他者が必ず存在する。
瞑想でつながる時には、
この自我が障害になる。
「私は正しい」と思っている人ほど、
手放すことができない。
自分自身に疑問を持てる人は、
自我というものが偽物の自分であること、
単なる衣だということに気づける時が、きっとやってくるだろう。
黄麗も自我を捨てるには、恐れがあった。
自分が自分でなくなるという恐怖感を超越できたのは、
師匠の一言だった。
「いくらやっても自分はなくならないから、
安心すればいい。
不要なものが剥がれ落ちるだけだ。」
本当にそうだった。
一瞬、自我を手放せた時、
煌めきの矢が全身全霊を貫くような神秘体験が起こった。
その時「私は」がすべて消えていた。
至福の空間の中に入り、
言葉では表現できない世界を知った。
これは、一瞥(いちべつ)を得たという体験。
やっと、瞑想に入れた段階。
慣れてくれば、
自我を落とすに、そんなに時間はかからなくなる。
社会で生活する時は、自我の衣をまとい、
瞑想の時に脱ぐという感じがイメージしやすいかもしれない。
つづく・・・