大阪・心斎橋の老舗占い館【占龍館】
代表の黄麗です。
セキララにこれまでの人生の振り返る
「波乱万丈の女!占術家・黄麗の半生」・・・
その81回目は「その81:何が善で何が悪かを勝手に決めている」のお話です。
その前に・・・
こちらはすでにお読みいただいていますか?
前回の記事はこちら!→「その80:自分の鼻の高さ」
子供の頃に、善悪の分別を教育することは、とても大切な事だと思う。
しかし、それが苦しみの元となっているケースが多い。
罪の意識というものだ。
そして、「許さない」という感情。
悪に対しての責め心。
全て、自分が苦しむ元になる。
葛藤が起こり、人は苦しむ。
教育では、善悪を超えた概念を学べる所は少ないと思う。
「絶対善」という、考え方がある。
この世には善しかなく、悪に見えるものは、バランスが悪いだけ。
その本質は善であるという考え方である。
悪は愛の欠乏から起こっている。
悪は信の欠乏から起こっている。
また、国の思想や法律によって、善と悪の定義も違う。
ある国では罪にならない事でも、ある国では極刑になる事がある。
善や悪と言うものは、人間が勝手に決めている。
大自然の中には善悪は存在しない。
人間の都合で善悪が生まれた。
正義が人を不幸にすることも多々ある。
善悪でものを考える事から、卒業できた人が、愛と許しの世界に入れる。
人間関係が上手く行かない人は、善悪で人を判断している事が多い。
悪を許せない人は、自分を嫌い、人も嫌う。
笑い飛ばせる人になれ!
善悪なんか超えて行け!
37歳の時、私は相対の事柄を一つのものとして捉える事が出来るようになった。
続きはこちら!→「その82:トレーニングしないと何も出来ない」