大阪・心斎橋の老舗占い館【占龍館】
代表の黄麗です。
セキララにこれまでの人生の振り返る
「波乱万丈の女!占術家・黄麗の半生」・・・
その80回目は「その80:自分の鼻の高さ」のお話です。
その前に・・・
こちらはすでにお読みいただいていますか?
前回の記事はこちら!→「その79:みんなに分かりやすくすると程度が低くなる」
「鼻は外に伸びた分は分かりやすいが、内に伸びた鼻は分かりにくい。」
師匠は自分を客観視するようにと、よく言われた。
辞書には、こう書かれている。
【鼻の高い】
人に自慢できることがあって、得意になること
1.おごりたかぶって人を見くだすこと。また、そのさま。「傲慢な態度」「傲慢無礼」
2.自分の才能・容貌 (ようぼう) などが人よりすぐれていると思い上がって、人を見下すこと。また、そのさま。
辞書には「人」に対してのことで、載っている。
しかし、師匠が言っているのは、人に対してではない。
もっと大きな存在(創造主)に対してだった。
私が内観を通して、自分の鼻の高さを知った時、とても恥ずかしいと思った。
この世のすべてが頂き物で、自分のものなど何もないのに、
それに気づかずに、我が物として傲り高ぶっていた。
特に身体に関しては、ご先祖を通して、その創造主に謝らなければならないほどに…。
初めから、私のものでは無かったのだ。
粗末に酷使しすぎていた。
どうなってもいいなんて、思うこと自体が傲慢そのものであった。
今は、真逆に大切にしている。
私はこの身体の管理責任者だったのだ。
そして、心の映画監督。
天に対して、傲り高ぶらず、謙虚な作品を作っていきたいと、心からそう思った。
人間は錯覚する。
自分に与えられている物や管理を任されているものを自分の物だと思い込む。
会社経営なら創業者がはまり易い落とし穴がここにある。
親なら、子供に対して。
そして、自分が自分に対して。
謙虚さを忘れると、傲慢さが出てくる。
鼻は伸びると、折られる。
不運を招く結果となる。
気を付けなければと、私は思った。
続きはこちら!→「その81:何が善で何が悪かを勝手に決めている」