大阪・心斎橋の老舗占い館【占龍館】
代表の黄麗です。
セキララにこれまでの人生の振り返る
「波乱万丈の女!占術家・黄麗の半生」・・・
その78回目は「その78:心が貧乏な間は「もっともっと」となる」のお話です。
その前に・・・
こちらはすでにお読みいただいていますか?
前回の記事はこちら!→「その77:邪魔くさがりはお金を損する」
心が豊かだと、足るを知るという状態になる。
心が貧しければ、足るを知るには無理がある。
もし、できたとしたら、それは我慢でしかない。
20代の頃を思い出せば、お金があっても、
私の心は貧乏だったのだなぁと改めて思う。
「心が貧乏な間は『もっと、もっと』となる」と勉強会の時に師匠が言った。
物質的にあまり恵まれていない人達でも、
分け合うことを知っていれば、心は豊かだ。
私はある程度成功していても、満足はしていなかった。
さらに、その状態を有難いとも思っていなかった。
失ってから、どれほど有難い状態であったか・・・
また、支えてくれていた人に対して、
まったく恩を感じていなかったことを大変申し訳なく思った。
今の私の心は、自信をもって豊かだと言いえる。
経済的に成功している人で、心が貧乏な人を見ると、
過去の自分を観ているような感覚になる。
その本人が豊かな心に導かれることを祈るばかりだ。
自分の心を見つめると、そこにすべての原因がある。
心を見つめることは、取り組んだ人は分かると思うが、宇宙を見つめるに等しい。
際限ない空間がそこには存在している。
本来心は豊かである。
「もっと、もっと」となるのは、心が満足していないから。
その心の満足とは、外側からは一時的にしか満たすことができない。
自分自身が、自分の心と向き合って、初めて心は満たされる。
それは、誰かが自分の代わりにできることではない。
平凡の中にある豊かさを知って生きる人生は、あたり一面を輝きに変える。
続きはこちら!→「その79:みんなに分かりやすくすると程度が低くなる」