大阪・心斎橋の老舗占い館【占龍館】
代表の黄麗です。
セキララにこれまでの人生の振り返る
「波乱万丈の女!占術家・黄麗の半生」・・・
その72回目は「その72:取り引きの感謝は感謝にあらず」のお話です。
その前に・・・
こちらはすでにお読みいただいていますか?
前回の記事はこちら!→「その71:何もしないで何とかなりたいのがダメ」
「感謝」という言葉。
座右の銘にしたり、
会社の経営理念の中にも「感謝」を掲げたりしている人は多い。
「ありがとうございます」と「感謝」は同じようで、意味が違う。
一つの言葉に絞って、深く掘り下げることを真理の勉強会ではよくやった。
感謝とは、その漢字に「謝る」が使われている。
「謝るを感じる」は、
単に「サンキュー!」という軽い意味の「ありがとう」とは違う。
「○○してくれたから、感謝!」
このレベルの感謝は、感謝にあらずというのが師匠の見解だった。
私が同感したのは、深い感謝を体験した時に、
「私の今まで感謝と思っていたものは一体なんだったのだろう!」
感謝という言葉の意味が自分の中で刷新できた後だった。
「○○してくれたから、感謝! なんてレベルは、単なる挨拶に過ぎない。」
それは、なぜかというと、
「○○してくれなかったら、感謝しない。」と言っていることに等しいからだ。
「そんなものは、感謝とはいえない!」と師匠。
師匠は、大阪で行った自身の還暦のパーティーの時に
「私の人生は…すべては、感謝です!」
と皆さんに挨拶をしたほどに、感謝というものを深めていた。
だから、軽々しく感謝という言葉を使っている人達には、厳しかった。
その人たちに向かって「君たちは、感謝を知らない!」と言われたこともあった。
感謝という言葉にハートが入っていなければ、それは、全く感謝ではない。
感謝だけではなくて、言葉にハートが入っていなければ、
それは言葉として、真の働きをしない。
言葉とはハートを伝える手段にすぎない。
言葉使いがどうして大切なのか、私はやっと30代後半にして、その意義を理解した。
続きはこちら!→「その73:アトピーだけを消そうという欲がダメ」